そして母は自殺した。「ダウン症の弟が産まれた⑤」

テレビ番組でダウン症を取り上げた内容の物を、時々目にします。

多くのものは、驚くほどに社会性があり、他人とコミュニケーションが取れる。身の回りの事が出来て、今の人生を楽しんでいる。

見た目や、行動に若干の違和感を持つかも知れませんが、ダウン症を差別的に見る事なく私たちの輪の中に入れてコミニティを大きくしましょう的なものに見えます。

私も他人事ではないので、ダウン症がテーマのテレビ番組を見ますが、

正直こう思います。。

「さぞかし親御さんは努力したのだろう」

(はじめからご覧になりたい方はこちらから)
https://auoard.com/down-syndrome1/

●将来を想う

ダウン症でなくたって、子育ては悩みの連続なのに、他の視聴者はどう思って見てるかは分かりません。作り手が視聴率以外に何を考えて作ったかは分かりません。

でも、私の感想はハッキリしていて、ダウン症の子供を持つ親は共通してこう考えていると思います。

「この子より先に死ねない」
「この子が1人になったら一体、どうなるのだろう?」

どのようなソーシャルワーカーと相談しても、行政サービスを調べても「この子」が1人になった後の不安は払拭できない。

結局、我が子を看取ってから死にたいと考える人は一定数いると思います。

以前、神奈川県の障害者施設で殺人事件が起きました。

それを見て、私の中の悪魔が大きくなったのを今でも覚えています。

「残された遺族はどんな気持ちなんだろう?」
「もしかして・・・気持ちが楽になった?」

殺人を肯定する気持ちは少しもありません。

「でも・・・どこか、割り切れない気持ちが芽生えているのではないか?」

家庭の形には色々あり、人も色々あります。一人っ子の家庭もあれば、離婚している家庭、家庭崩壊して一家離散。誰にも頼れない性格。

現代の医療は格段に進歩しているせいか、以前は短命だと言われていたダウン症児も今や60歳まで生きる事も不思議ではない時代です。

好きで染色体異常で産まれた訳でもないのに。

また、短命と統計が出ている中で、ストレスがかかる他人との付き合いを積極的にさせなければならないのか?

でも、産まれてきたからには「良い人生だった」と感じてもらいたい。

仕事で仲間、労働に対する対価、他人と関わる事で社会性、我が子にもっともっと社会との繋がりを持たせたい、孤立しない為に取り敢えず学校へ。

ここに本人の意志はあるのか?正直、血が繋がっていても他人の気持ちなんて分かりません。

もしかして、全ては親のエゴなのかも?

ここ最近は、そう考えるようになりました。

なぜなら、人によって度合いが違うもののダウン症で産まれてきたら、いわゆる健常者よりも余計に手が掛かる。

今後、手がかかり続けるとわかっている。

しかも大切な我が子、将来が心配、私が死んだら「この子はどうやって生きて行くのか?」そもそも人の死について彼はどう理解するのか?

あってはならない事ですが、私の心の片隅に「無理心中」という言葉が棲みついています。

英語では色々な言い方があるみたいですが「murder suicide」とも言われます。自殺に伴う殺人。

恐らくここまで、極端な事を考える人は少ないと思います。

でも将来を冷静に考えると、私も「弟より先に死ねない」と思う。

IwasakiKentaro

岩崎健太郎です。
元フリーター、元リフォーム会社の雇われ社長。
今は老舗洋菓子屋さんの社長室副室長兼業務部長。
片親でダウン症の弟の将来に悩み、一方自分の子供達の将来にも悩む。
ただやれることはまだまだあるはず。

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雨の日には傘をさそう
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